2001年度研究論文発表要旨集
第一部:言語学(言語習得/バイリンガリズム)
1)林みどり(カールトン大学)
「第二言語としての英語習得と他動詞構文」
英語は、その発達過程においてケースマーキングを失い、主語(S)動詞(V)目的語(O)と、語順が固定されたと言われている。その影響として、まず、もともとは他動性が高いもの(prototypical
transitivity)を表すとされている他動詞構文(SVO)が、時を経て他動性の低いものにも、当てはめられるようになって行ったことがあげられる(Hawkins,1985)。英語だけに限らず、他動詞構文がプロトタイプから逸脱している例は多かれ少なかれ、他の言語にも見られる現象であるが(Givon,1984)、英語はその中でも群を抜いている(Hawkins,1985)。
この広範な英語におけるSVOのマッピングは、第二言語としての英語学習者にどのような困難をもたらすのか、また、母国語の他動詞構文のマッピングがどのように影響するのか、がテーマ。対象はESL中級クラスで学ぶ、日本語、スペイン語、アラビア語、ペルシャ語を母国語に持つ学生。7段階に分けられた他動性の度合いの違う絵を一文で描写してもらった。
日本語がプロトタイプの逸脱度が最も低いことから、日本人グループの際立ったSVO構文使用の困難が予想されたが、母国語の他動詞構文のマッピングの影響はあまりみられず、1)母国語に関係なく、SVO構文は他動性の高いものに最も簡単に使用されることが確認されたが、2)学習者は、他動詞構文のマッピングに関して、保守的であること。3)第一言語の影響は、構文そのものよりも、語彙単位で起こること。などが結果として確認された。
2)栗山恵子(ニューヨーク州立大学バッファロー校)
「日本語における状態動詞の習得:
幼児のナラティブの分析」
言語の意味的役割と統語的機能を結ぶ"linking
rules" の習得に関しては言語学上未だ論争が続いており、定説を見ないようである。Pinker
(1984), Berwick (1985) その他は 生得主義的な考え方に基づいた
"linking rules" を仮定し、リンキングという機能が経験に基づいて築かれたものではなく普遍文法により生来与えられたものであると述べている。それに対してFoley
& Van Valin (1984), Van Valin & LaPolla (1997) はRole and
Reference Grammar (RRG) を唱え、子供は単に環境との相互作用や談話といったコンテクストから
"linking rules" を習得するとし、動詞の意味理論の機能として特定している。さらに、両者の理論は
"linking rules" の習得、具体的に言えば統語論と意味論との関係のあり方に関して根本的に異なった見方をしている。Pinker
はある特定のリンキングは他よりも規範的
(canonical)であるが為に子供は非規範的構文よりも先に習得すると指摘している。それに対しRRGは語用論や動詞の意味論を本質に据えた上で、習得の違いを単に前提とされたリンキングの規範性からだけでは予測できないと述べている。
本研究は、Pinker によって規範的構文よりも後から習得されると指摘されている非規範的構文の例である日本語の状態動詞の習得過程を明らかにすることを目的としている。今回の実験では、3歳から6歳の幼児及び成人に日本語の状態動詞が引き出されるような場面をいくつか含む言葉のない絵本を基にし物語を伝達してもらった(例:(みどりに)リボンが見えた。)。その結果、子供による状態動詞を含んだ構文が成人に近い頻度で観察された。つまり、ある特定の談話のコンテクストでは非規範的構文が無標(unmarked)の構文であることが解った。それゆえに、非規範的構文が必ずしも後から習得されるものではないことが実証された。.本研究のこの結果は統語論を語用論と動詞意味論の立場から見て、意味と背景情報がどう形式を動機づけているかということを重視するRRGの第一言語習得理論を支持するものである。
第二部:言語学(文法)
3)青木恵子(クイーンズ大学)
「「って」と「と」における文法化」
ここでは、まず、Traugott(1993)らによって提示された文法化
(grammaticalization)のモデルに従って、談話データに現れた「って」の客観的な意味用法から主観的な意味用法までを分析し、引用の格助詞「と」と比較しながら通時的にも2つの分化を考察したい。「って」と「と」は、どちらも「引用」という役割を持ちつつ、それぞれ、話者との関わり、話者との分離という相反する方向に文法化が進んでいると考えられ、興味深い。更に、教育現場への応用として、文法化で生まれた多様な意味用法を一つ一つ教えるのではなく、中心的な意味から派生させながら教えることを提案する。
「文法化」とは、「ある文法項目が、固定した文脈で多く使われることによって、より文法的になる」現象である。open
categoryからclosed categoryへ移行していく現象とも換言できるが、特徴として「具体から抽象へ」、「客観から主観へ」と意味が変っていく。文法化するに伴い、音韻脱落(phonological
reduction)が起こることも多い。例えば、「しまう」を例に取ると、「片づける」に近い具体的客観的意味の動詞が、「~てしまう」においては、終わったことに対する話者の残念な気持ちを表わす(主観的意味を添える)助動詞になっている。また、口語では「~ちゃう」と音が短くなる。
ここで取り上げるのは助詞であるが、そもそも助詞というものは、間投詞、動詞、名詞から文法化したと考えられ、現代日本語、特に口語では、文法化によって新しい「助詞」がどんどん増えている印象を受ける。「山田さんって、面白いよね」「そんなこと言うなんて、ひどい」「違うってば
」
一番上の例文は、「って」の主観的話題提示である。この文は述部に話者の主観(この場合は評価)を含んでいるので適格文であるが、述部が客観的事実描写だけなら、非文になってしまう。
*山田さんって、学校を休んだ。
実はこの「って」は、引用の「って」(山田さんは来ないって言ってた。)、伝聞の「って」(山田さんは来ないんだって。)ともつながっており、古い文献をたどると「引用」から文法化していったことが分かる。文法化を逆にたどると多義が一つに集約できるということは、多いに教育に利用できるのではないか。例えば格助詞「に」は様々な用法があるが、そのコア「存在」を押さえると、多くの用法をイメージ化して教えることができる。
4)杉江厚美
(名古屋外国語大学)
「「わけだ」の意味と用法」
本論文では「わけだ」を文末のモダリティ表現の一つととらえ、寺村(1984)、森田・松木(1989)の分析をベースに、それらを再解釈、再配置し直し、さらに、北川(1995)の分析も考慮に入れて「わけだ」の新たな五分類を次のように提案する。
タイプ1 論理的帰結を表す用法
タイプ2 納得を表す用法
タイプ3 言い換えを表す用法
タイプ4 確実性の補強を表す用法
タイプ5 談話のモダリティ標識としての用法
「わけだ」の「わけ」が「因果の筋道」という意味を持つことから「わけだ」には「P-->Qという推論の過程」が常に存在し、これら五用法のすべてが「P-->Q」の図式で統一的に表されるものと考える。ただし、タイプ1-タイプ4は、命題のレベルで「P-->Q」と表されるもの、タイプ5は、言語行動のレベルで「P-->Q」と表されるものである。命題のレベルで「P-->Q」と表される四タイプについては、タイプの判別のための客観的基準も定める。
また、野田(1997)が、ムードの「のだ」のうち「関係づけ」の「のだ」とする用法等との比較を通して、「わけだ」の意味と用法をより明らかに示す。
5)宮崎敬子(明治学院大学)
「動詞活用規則の心理的実在性」
日本語の動詞は主語の人称や数で変化せず、主にテンスとアスペクトで変化するだけなので、その活用は一見、単純で易しく見えるかもしれない。動詞の分類(I、II類)さえ分かれば、活用規則自体は複雑ではないと言う日本語学習者も少なくない。しかし、学習者が動詞を正しく活用できるようになるまでに大変な時間と努力を費やすことも事実であり、また、日本語話者の間に、いわゆる「ら抜き言葉」のような間違った活用形が定着しつつあるというのも現実である。
本発表は、日本語話者・学習者が、動詞変化の習得において、まず規則を先に習得し、習得した規則をもとに正しい形を生成しているのではないことを、実験的な手法を用いて明らかにし、日本語話者・学習者の動詞活用規則習得の傾向を論じ、その傾向が日本語の文法体系に与える影響を考察するものである。
先行研究では、Vance(1987)が実験的な手法を用いて、日本語話者が今までに聞いたことのない動詞を、既に知っている形から類推して正しく活用できるかという調査をしている。その結果、Vanceは日本語話者にとって一度も聞いたことのない動詞を活用させることが著しく困難であることを発見し、彼らの動詞変化の習得は暗記によるものであり、生産的なルールであるはずの活用規則をほとんど用いていないと結論づけている。
本発表で報告する調査結果は、Vanceの実験の手法を用いて、日本語話者だけでなく、日本語学習者も被験者として行なった調査の結果である。Vanceの結論のように、日本語話者が暗記によって動詞の活用を習得しているのなら、日本語学習者にも同様の結果が出るはずであるという仮説を立て、東京の大学生と、日本語学習歴一年ほどの留学生を対象に、四つの無意味語(動詞)の辞書形を刺激語として与え、被験者がそれらをどのように活用するかを分析した。その結果、日本語話者と日本語学習者の間に大きな違いは見られず、また、Vanceの日本語話者のみを対象とした実験結果とも大差はなかった。すなわち、双方とも初見の動詞の活用にかなりの困難を覚えたということである。
日本語話者の動詞活用における規則性は、Vanceによれば、規則を生産的に用いて保たれているのではなく、規則を正確に把握している数少ない話者が、規則に鈍感な多くの話者が犯す誤りを拒絶することによって保たれているのだという。この仮説を証明することは難しいと思われていたが、上記の「ら抜き言葉」の例がその正当性を如実に物語る。心理的実在性の弱い活用規則は不安定で非生産的なため、誤りが生じ易く、また、その誤りが正しい形となって定着していくような言語変化を産む可能性も否めないのである。
第三部:言語学(音韻論)
6) 上野善道(東京大学)
「日本語アクセントにおけるモーラと音節」
日本語のアクセントは,伝統的に「モーラ(mora)」を単位としてとらえられてきた。そして,ヨコハマ'シ(横浜市)に対するセンダ'イシ(仙台市)などは,モーラ音素がアクセント核('で表わす)を担えないために核の位置が移動するとしてきた。(モーラ音素とは,はねる音,つまる音,のばす音,2重母音の後半要素を表わす)
それに対して,日本でも一部の人により比較的古くから,そしてアメリカでは生成音韻論の発展に伴って,「音節(syllable)」を単位としてとらえる方が良いという考え方が出されてきた。「仙台市」はセン.ダイ'.シ,すなわち○○'○の3音節語であり,ダイという音節(の主母音ダ)が核を担っている,とするもので,これにより,英語などのアクセントとも共通する枠組みでとらえることが可能になる,という主張である。この見方は,近年のいわゆる理論研究においては,もはや常識化した感さえある。
それに加えて,英語などさまざまな言語にも音節の他にモーラも設定する方が一般化が進むという主張がなされ,世界の諸言語には音節とモーラがともに普遍的な単位として存在するという考えが強く浸透しつつある。
しかしながら,私は,普遍性を語る前に,言語ごとの相違点もしっかりととらえておく必要があり,それは理論においても言語教育においても重要であると考える。また,日本語(標準語)をラテン語や英語といきなり比較して一般化する前,まず日本語の諸方言と間においてそれが成り立つかを検証しなければならないと考える。それを経ない一般化・普遍性の主張は基盤の弱いものとなる。そういう前提で考察した私見をまとめと,以下のようになる。「音節」は人間の言語にとって不可欠の単位であるが,それが果たす役割は言語・方言によって異なっており,標準日本語においては,音節は従の役割でしかなく,モーラの方が主という関係にある。一方,同じ日本語でも鹿児島方言は,やはり両方の単位を持つものの,そこでは音節が主たる単位となっている。
それに対して,「モーラ」は人間の言語にとって不可欠の単位ではなく,これを持つ言語と持たない言語がある。近年主張されている日本語,ラテン語,英語の各モーラを比較検討すると,元のラテン語のモーラから見て日本語のモーラはある方向に変質を遂げており,一方,英語のモーラはラテン語から日本語とは反対の方向にずれていて,その結果,日本語と英語とでは,同じくモーラと言っても,その内容は著しく異なるものとなっている。上記の主張を,日本語のアクセントの具体例を中心としながら述べていく。
7)稲葉生一郎(サンノゼ州立大学)
「韻律音韻論から見た長い複合名詞のリズムとアクセント」
先行研究は、複合名詞(N1・N2)を短い複合名詞(N2≦二拍)と長い複合名詞(N2≧三拍)に大別し、短い複合名詞のアクセント型は予測が難しく、長い複合名詞のアクセント型は、N2のアクセント核の位置が分かれば、ある程度予測可能だと指摘している(拍=モーラ)。
本発表は、アクセント核の位置が分かればアクセント型の予測可能な長い複合名詞に焦点をあてた。まず先行研究(McCawley
1977, Higurashi 1983, Tsujimura and Davis 1987, Poser 1990)の指摘に言及する。そしてNHK編発音アクセント辞典
(1985)から抜粋したN2のアクセント核の位置を韻律音韻論の視点から考察した。その結果、多くの長い複合名詞のアクセント核は、N2の最終フット核におかれることが分かった。また、三拍と四拍のN2は2フット以下で構成され、五拍以上のN2は2フットより大きいことも明らかになった。そこで、N2が2フット以下の複合名詞は、フット(リズム)がN2の左(語頭)から右に構築されるが、N2が2フットより大きい複合名詞は、フットがN2の右(語尾)から左に構築されると一般化できた。
先行研究では短い複合名詞(N2≦二拍)と長い複合名詞(N2≧三拍)に大別されてきたが、今回の研究でリズム構築に関して、N2が2フット以下の「短い」複合名詞と2フットより大きい「長い」複合名詞の間に大きな違い(境目)があることが明確になった。この様に、先行研究では、認識されなかったことが、今回の韻律音韻論からの考察で明らかになった。さらに先行研究で、N2のアクセント核位置が分からなければ、全体のアクセント型の予測が難しいと考えられてきたものも含め、長い複合名詞のアクセント型が、今回の研究でさらに予測可能であることが実証された。
8)谷原公男 (ニューヨーク州立大学バッファロー校)
「短歌の韻律と句交差よるリズムの調整」
短歌や俳句などを代表とする日本語の詩歌の韻律は、モーラの数を数える音数律であり、一般に七五調の繰り返しが基本とされる。しかし、実際の朗唱においては、5音の句では3音分、7音の句では1音分のポーズを含み、1句8音の反復として表現される(別宮
1977、坂野 1996)。そして、これは音声学的にも立証されている(Cole
& Miyashita 1999)。また、各句の内部構造に関しても、2音一単位を4回繰り返すbimoraic
tetrameter も提言されている
(Kozasa 1997)。
本論では、小倉百人一首に収録されている短歌のうち、いわゆる「字余り」の句を含む31首(33句)が実際にどのように朗唱されるかを分析した。これまでは、字余りの句の場合、単にポーズを省略して朗唱することによってリズムを調整していると言われてきたが、実際には、それ以外に、字余りの句の最初の音が、前の句の最後の位置、つまり8音目の位置で発声される「句交差
(line crossover)」の現象が見られることがわかった。句交差現象は、全ての字余りの句で可能なわけではなく、奇数音の語(主に3音語)を句の最後ではない部分に含む場合に起こりやすい。また、ポーズが句内のどの位置に置かれるかということと共に、この句交差の現象は、8音ある各句の内部が、2モーラを1フット
(foot) とする単位と、2フットを1コロン
(colon) とするさらに大きい単位で構成されていることを示すものである。つまり、各句は、その真ん中で4音ずつの半句(コロン)の単位に分かれている。これは、アクセント言語である日本語の韻律が、英語やハンガリー語などの強勢
(stress) 言語の韻律と同様の内部構造を持つことを意味するものである。
第四部:日本語教育/社会言語学
9)宮谷敦美 (岐阜大学留学生センター)
「初級日本語学習者に対する作文指導 ―談話構造に着目した学習活動の可能性―」
従来の初級学習者の作文に関する研究は、学習活動や書く過程そのものに焦点を当てたものか、学習者の作文の文法レベルの誤用や談話レベルの問題点に焦点を当てたものの二つの傾向がある。談話構造を考慮に入れた作文教育では、フローチャートの使用など論理展開を考慮に入れた指導実践がこれまで多く行われているが、学習者の実際の作文例を観察してみると、論理展開が考慮されていても、その論理を支える文と文のつながりがうまくできていないために読み手に伝えたいことが分からないという問題も多い。これらは語句の省略や文脈指示など、ドリルなどの口頭練習が中心のクラスでは見落とされがちな項目が原因であることが多く、このような問題点を効果的に指導するには、単に全体構造だけに着目させるのではなく、書き手が内容を吟味し、いかに書けば読み手に伝わるかという「コミュニケーションのための」書きに焦点を当てた作文教育も必要である。そのために学習活動や書く過程についての研究成果も採り入れるべきであろう。発表者はこれまで初級日本語学習者の談話レベルの問題点を考察してきたが、これらの先行研究を取り込みながら、実際の学習活動をいかに行うことができるかについて、発表者が行った指導実践を紹介しながら、初級段階での作文指導の可能性を探りたい。
本発表では、初級学習者の作文における談話レベルの問題点として、特に語句の省略の問題を採り上げ、その問題点の考察を行い、作文における語句の省略を効果的に指導するためにどのような教室活動が可能か、peer-feedbackの手法を採り入れた実践を中心に紹介する予定である。
10)鵜沢梢(レスブリッジ大学)
「文化を教えるということ」
外国語教育、日本語教育等で文化も教えなければいけないと言われ始めてから随分経つ。しかしながら、実際の現場でどんな文化を、どんなふうに、どれだけ教えるべきなのかは、今もってはきりしない。私自身は日本文化のコースを大学で教え始めてから4年になる。このコースは日本語教育とは別のもので、学生は日本語を学ぶ必要はない。文化とは何かという問をくりかえしながら試行錯誤を続けて来たが、この辺で私自身の日本文化教育の実践指導を振り返って発表をしたいと思う。
私の教えてきたコースは「映画を通してみた日本文化」(Aspects
of Japanese Culture Through Film)というもので、1997年より毎年3単位のコースとして開講されてきた。このコースで見る映画はいわゆる文化を教えるための映画ではなく、日本で公開された普通の映画である。13週間のコースで8本の映画を見ることになっているが、ちなみに2001年は、ミンボーの女、黒い雨、となりのトトロ、おはよう、羅生門、赤ひげ、Shall
We ダンス?、ビルマの竪琴を見た。学生数50~60人くらいの大きなクラスで、カナダ人学生が70%、中国系学生20%、日本人留学生10%ぐらいの割合である。このコースの目的は日本人のものの見方を理解して自分自身のものの見方、考え方の枠を広げ、ステレオタイプなものの見方に気付かせる、というものである。日本の生活習慣(例えば、はしの使い方、ジェスチャー、お辞儀の仕方、結婚制度等)を教えたり、いわゆる文化(例えば、文学、美術、茶道、生け花、書道、折り紙等)を教えたりするのではなく、映画を通して日本の社会、日本人のものの見方を探るのである。
このために、あらかじめ各映画について質問
(Guiding Questions)を用意し、映画を見た後でクラスを小さなグループに分けてディスカッションさせ、その後、クラス全体でのディスカッションをしてエッセイを書かせた。しかしながら、このようなコースは北米の大学でもあまり例がなく参考にできるものがあまりないので、毎年、コースの後の学生の評価を参考にして改良を加えてきた。学生の評価は前向きなものが多く、コースにたいする評価は大変いい。発表ではこのコースについて詳しく話したいと思う。
11)田中順子
(神戸大学)
「成人日本語学習者による「気づき」の発生と顕在的学習を目指した介入との関連について」
DeKeyser (2000)によると,成人が第二言語を学習する場合は,(1)潜在的学習メカニズム(implicit
mechanisms)が衰退して能力が弱まっているのだが,成人学習者が高い言語能力(verbal
ability)をもっている場合は,顕在的学習メカニズム(explicit
learning mechanism)を使うことにより,潜在的学習メカニズムを使わずに第二言語の学習が可能であると述べており,また,(2)目標言語項目が「目に付きやすい」(salient)場合は,学習者の言語能力の高低にかかわらず学習がされやすいと述べた。
Tanaka(1999, 2000)は,成人日本語学習者に顕在的学習を促し,学習項目を「目に付きやすく」するような教育的介入を行い,日本語コピュラ文中の焦点構造を助詞を使って正しく標示できるかどうかを実験的に検証した.その結果,2種類の教育的介入が当該言語項目の学習を促進したことが実証された.用いられた言語項目は,DeKeyser(2000)のいう「目に付きにくい」ものであったが,顕在的学習を促すような教育的介入によって,「目に付きやすい」ようになったものと考えられる。
上のTanaka(1999, 2000)では,外面的には顕在的学習が促進されたということが解ったが,目標言語項目について学習者自身が何か気づいたかどうか,つまり学習者による主観的内省については検証されていなかった.本発表では,Tanaka(1999,
2000)の実験終了間際に被験者から集められたアンケートの結果を分析し,介入の有無や種類の違いによって,学習者間で「気づき」の度合いに差が見られたかどうかを報告する。
12)岩田園美(ブロック大学)
「アジア人日本語学習者間の協力的学習態度を向上させるための評価法」
欧米諸国の教育を基本とした第二言語習得(SLA)の理論では、グループワークでの生徒間の協力的学習が目標言語(TL)の習得に及ぼす有効性が強調されている。一方で、アジア人学生の文化的背景や、過去に母国で経験した教育の違いが、アジア人学習者間の協力的学習を妨げる要因となっているとの報告もある。本稿では、このSLAの理論、特に、Swain
(1985)のアウトプット仮説 とVygotsky
(1978) の社会的インターアクションの概念から生まれた協力的学習法がどの程度アジア人学習者に有効であるか、又、もし有効でない場合、いかにアジア人学習者の協力的学習態度を向上させることができるのかを論じるものである。
本研究は二つのカナダの大学における日本語初級クラスでのアジア人学習者間の協力的学習態度を比較した。A大学の学習者には5週間の協力的学習法のトレーニングを行い、B大学の学習者には、直接的なトレーニングは行わずに、毎週、クラス内外での学習態度の自己評価をさせた。この自己評価は、全体の成績の15%に値する。両大学の学習者間の協力的学習態度を比較する為に、KowalとSwain
(1994)の研究をもとに、テキスト再構成のタスク(Dictogloss)中のペアの会話を録音したものをデータとし、計量的、記述的に分析した。その結果、B大学のペアワークでの協力的学習態度及びその頻度がA大学に比較して、質、量ともにはるかに高いことがわかった。
13)藤岡典子(シンシナティ大学)
「大学レベルにおける日本語学習者要因間の相互関係--学習者要因は学習スタイル及び認
識論的信念とどのような関係があるのか」
当研究の目的は、大学レベルでの外国語としての日本語学習者のステータスに関する要因(性別、学年、言語上達度など)がどのように学習スタイル及び認識論的信念と関係があるのかを調べ、その関係が授業に及ぼす影響を現場教師に認識してもらい、効果的な授業が遂行できるように各学習者に適切な教授法などを示唆することである。この研究では、1998年夏と秋にアメリカ合衆国の8大学でアンケート調査を行ない、215人の回答を統計分析した。統計分析では、学習者のステータス要因、グラシャ=リックマンの学習スタイルスケール(1975/1989/1994)、ショーマーの認識論的信念のアンケート(1989/1998)の回答結果を、調査の目的及び変数の種類によって、因子分析、相関分析、ロジスティック回帰分析を使って分析した。
まず、斜交因子分解を併せた主因子法分析によってアンケート調査参加者の学習スタイルの合計変数の70、5%が説明できる6因子(回避、協力、競争、独立、勤勉、依存スタイル)が、同分析法によって認識論的信念の合計変数が説明され得る48、4%の4因子(形成能力、急速学習、確定知識、単純知識の信念)が生成された。
更にその学習スタイルと認識論的信念が、学年、言語上達度、専攻などの学習者要因とどのような関係があるかを相関分析とロジスティック回帰分析によって調べた。その結果、学年や言語上達度などの学習要因は、教室での活動などの社会的様相をどのように学習者が感知するかという指標を表わす学習スタイルが、また専攻や人種などの要因は、各個人の学習傾向や教育のされ方などから影響があるであろうと考えられる個人的様相を示す認識論的信念が、それぞれより強い正の相関関係を持つということが示された。
この結論は各要因によって学習者を分類しそれぞれに適した指導法を選ぶ手だてになるばかりではなく、授業などで問題が生じた場合、問題点の起因が社会的要因にあるのか個人的要因にあるのかを判明することで解決策をより効率的に探し出せることを含蓄していることで有用であると言える。